徳川埋蔵金伝説が残る赤城山

伝説によりますと、外国奉行や勘定奉行などを歴任し日米修好通商条約の使節としても渡米した、
小栗上野介忠順が徳川の御用金を持ち出してどこかに隠したのではないかと言われています。
小栗は横須賀に製鉄所・造船所を建設するなど事業家として卓越した才能を持ち、苦しい幕府財政の再建をはかった人物であることは有名な話である。
ところで、「埋蔵金」の場所として発掘された場所は全国で27ヶ所ほどあるという説がありますが、なぜかこの多くは群馬県に集中しているのです。
さらに上州というのは、幕府にとって特別な場所として考えられていたのです。
上州は甲州と同じく周囲を山に囲まれています。
そのため万一江戸が攻撃された場合には、上州に本営を移転するという計画があったとも言われているのです。
つまり徳川家にとって、何よりも安心できる場所だったのです。
そこから推論しますと「埋蔵金」を隠す場所は、この辺りが一番確率が高いということになるのです。
太平洋戦争直前の1940年、近衛文麿内閣の時に日本軍による赤城山の発掘が行われたとも言われているのです。
もっとも現在ではほとんどの埋蔵金研究者小栗上野介忠順「埋蔵金」の関係、または赤城山の「埋蔵金伝説」そのものに否定的であるとも言われているのです。
しかしながら「埋蔵金」が上州に運ばれた形跡はあると主張する人も多いことから推測しますと、ますます「徳川埋蔵金伝説」が現実なものになる日が来るかもしれません。
☆この世の中、「2億円の宝くじ」が何回もあたる人がいるように、
もしかしたら「埋蔵金」を発見するのは、あなたかもしれない・・・

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L製作所様 地鎮祭

こんにちわ。渋崎建設(株)営業部の胡桃澤です。
大安吉日の過日、快晴の秋空の下、
L製作所様の地鎮祭を行いました。
素晴らしい天気に恵まれ、
工事のスタートとしては吉兆を予感させるものでした。
若い社長様の、より良い会社にしていきたいという気概を受け、
その想いを「建物」という形在るものに反映させるべく、
会社全体で提案し取り組んできました。
その結果として、今回スタートをきれた事はとても嬉しく思うと共に、
完成に向けて身の引き締まる思いが致します。
今は何もないこの更地から立派な建物ができるまで、
L製作所様の方々や周囲の方々が安心して見ていられる様な仕事をさせて頂きます!
関係者の皆様方、今回は本当におめでとうございました!
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↑刈初の儀(かりぞめのぎ)               ↑切麻散米の儀(きりぬささんまいのぎ)