徳川埋蔵金伝説が残る赤城山

伝説によりますと、外国奉行や勘定奉行などを歴任し日米修好通商条約の使節としても渡米した、
小栗上野介忠順が徳川の御用金を持ち出してどこかに隠したのではないかと言われています。
小栗は横須賀に製鉄所・造船所を建設するなど事業家として卓越した才能を持ち、苦しい幕府財政の再建をはかった人物であることは有名な話である。
ところで、「埋蔵金」の場所として発掘された場所は全国で27ヶ所ほどあるという説がありますが、なぜかこの多くは群馬県に集中しているのです。
さらに上州というのは、幕府にとって特別な場所として考えられていたのです。
上州は甲州と同じく周囲を山に囲まれています。
そのため万一江戸が攻撃された場合には、上州に本営を移転するという計画があったとも言われているのです。
つまり徳川家にとって、何よりも安心できる場所だったのです。
そこから推論しますと「埋蔵金」を隠す場所は、この辺りが一番確率が高いということになるのです。
太平洋戦争直前の1940年、近衛文麿内閣の時に日本軍による赤城山の発掘が行われたとも言われているのです。
もっとも現在ではほとんどの埋蔵金研究者小栗上野介忠順「埋蔵金」の関係、または赤城山の「埋蔵金伝説」そのものに否定的であるとも言われているのです。
しかしながら「埋蔵金」が上州に運ばれた形跡はあると主張する人も多いことから推測しますと、ますます「徳川埋蔵金伝説」が現実なものになる日が来るかもしれません。
☆この世の中、「2億円の宝くじ」が何回もあたる人がいるように、
もしかしたら「埋蔵金」を発見するのは、あなたかもしれない・・・

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