浮城の石垣

学生時代の友人から ”ラインでグル一プを作って交流をしたいが、お前はまだガラケ一なのか”

という問い合わせがありました。

はい ガラケ一です :::ico4:::

妻のスマホに着信があり ”手がはなせないからちょっとでて” と言われ、画面をタップするも

反応なし :::ico28:::

”ばかにしやがって” とスマホをソファ一にたたきつけたあの日から、スマホは持たないことに

決めているのです :::ico80:::

まあ ガラケ一もほとんど使っていないんですがね・・

少し前のこと

私と同じく ”スマホは持たない” と宣言していた近所のM屋さんが、スマホを持っている

ことに気が付きました 😯

聞けば、お店の若いお姉さんにすすめられるままに、スマホにしてしまったとのこと。

ああ 気分は ”ブル一タスお前もか” といったところですな :::ico45:::

 

昨日お城の石垣の話題を取り上げたのですが、そういえば高島城はどうだったかな・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

野面積(のづらづみ)でした。

もっとも原始的な方法 石をあるがままに積んでいく方法です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ああ 隙間もこんなにあいちゃって・・

山梨から武田信玄の軍勢が攻めてきたら、あっという間に登られてしまうな :::ico9:::

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お堀の石垣も、野面積

石の隙間から草が生えてきます。

そしたら、おっ :::ico17:::

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

角の部分は野面積ではなく、あらかじめ石を加工してから隙間がでないように積んでいく方法、

打込接(うちこみはぎ)ですね ❗

ここだけ後から修復したのかなあ・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これは高知城の石垣の角の部分

ここは角の部分も隙間のある野面積ですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ああダメだなあ :::ico55:::

足がかり手がかり、たっぷりじゃないか :::ico45:::

諏訪の殿様に、他国の軍勢が攻めてきても簡単に落城しないよう進言をしなくては :::ico80:::

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お城の入口付近にあるこの看板 :::ico8:::

1970年復興・・ おお来年は ”復興50年祭” かな :::ico56:::

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高島城の別名は ”諏訪の浮城”

「日本三大浮城」の一つです。

これを英語にすると ”the Floating Castle of Lake Suwa”

なるほどねえ :::ico5:::                           小松 明