蓼の海スケ一トリンク

原村の小学校の「校庭リンク」がオ一プンしたそうです 😮

暖冬でどうなるかと思っていたのですが、よかったです :::ico35:::

私の子供時代、スケ一トといえば「蓼の海スケ一トリンク」ですよ ❗

蓼の海は霧ヶ峰の下方に位置する水田灌漑用のため池。

標高1250mに位置し、1925年からスケ一トリンクとして整備されました。

その当時は当然、諏訪湖でもスケ一トができたわけですから、

まあスケ一トがかなり盛んだったのでしょう。

蓼の海のリンクはよく滑るリンクとして知られ、

日本屈指のスケ一トリンクとして栄えたそうなんですよ :::ico54:::

1976年、人口のリンクが ”下界” で普及したため閉鎖されました。

おおそうか・・ 蓼の海のリンクがなくなって、もう40年以上たつのか :::ico83:::

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今、冬はどんな感じになっているのか、行ってきましたよ :::ico10:::

雪原に足跡多数

訪れる人はいるんだな・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このあたりに「入場券売場」がありましたね。

入場料は当時で100円とか、そんなもんだったと思いますが・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ああ・・

今年は暖冬とはいえ、氷張ってないなあ :::ico9:::

スケ一トリンクがあった時代は確か、50cmくらい氷の厚みがあったよなあ・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

対岸にかなり古い木造の「レストハウス」あったよなあ・・

なんかスケ一トをやったということより、ここでの出来事が思い起こされます。

レストハウスで肉うどんを食べたが、こいつがものすごくうまかった。

私の肉うどん好きは、ここに原点があると思われる。

レストハウスで母親が作ってくれたおにぎりを食べていたら、

焼きそばの入っているパンを食べている友達がいた。

それは言うまでもなく「焼きそばパン」であるが、当時は見たことがなく驚いた。

このようなパンは末広の「東京ベ一カリ一」で買えると聞いたが、

むろん簡単に食べることはできなかった :::ico32:::

またある時、レストハウスでカップにお湯を注いでラ一メンを食べているやつがいた :::ico15:::

それは言うまでもなく「カップメン」であるが、当時はたいへん珍しいものであった。

まだ小売店で販売されていなくて、湯の脇の国道沿いに自販機があったので、

ある日ここで購入して家族で食べた :::ico113:::  むろん うまい :::ico76:::

スケ一トの速いやつは、なんとかという特別な刃の靴を使っていると聞いた。

ある時実物を見せてもらったが、確かに見た目が違っていて驚いた

蓼の海にスケ一トに行く時は、行きはバス、帰りは徒歩と決まっていた。

帰りの山道下りが長くていやだった :::ico66:::

確かに氷はつるんつるんだったなあ :::ico68:::                小松 明