天国への階段

今日は真夏のような暑さになるとの予報 :::ico3:::

 

朝、会社の駐車場に到着したら、朝日の中を飛行機が通過中 :::ico113:::

 

このイメ一ジは・・

自分にも他人にも厳しい「香田キャプテン」 :::ico17:::

懐かしのドラマ ”グッド・ラック” ですな。

:::ico7::: 青い水平線を・・ という主題歌のあいつです。

 

そしたら、すごい写真が撮れたんですよ :::ico8:::

この写真、ヒコ一キ雲のラインが偶然にも左下角から始まっています。

それで右上に伸びているラインに定規をあてると、ピッタリ右上角に :::ico154:::

そうするとこのラインはちょうど45℃ :::ico113::: 長方形をピッタリ二等分するラインになっていたのです :::ico45:::

いやね 本当に偶然なんですけどね。

これで私のことを ”人間分度器” と呼んでもらっても構わないですよ :::ico80:::

 

3月に日帰りで京都に行った際、

豊臣秀吉公のお墓「豊国廟」に寄ったというお話が、途中になっていました :::ico95:::

 

この辺が入口

入場料100円を支払って、あとはひたすら階段を上ります :::ico73:::

管理所の方が、何も覚悟がなくふらりと立ち寄った観光客に見えたのか、

「往復で最低30分はかかりますが、大丈夫ですか」と声をかけてくださいました。

階段を上りきれるかはともかく、時間は大丈夫です :::ico5:::

 

階段入口にあった説明書

やはり徳川幕府は秀吉公には冷たかったのですね・・

 

さあ上りましょう :::ico54:::

この日は京都の街中で、たくさんの観光客を見かけたのですが、

この階段を上ろうという ”秀吉ファン” の姿は、数えるほど :::ico83:::

 

この階段 こんな感じで段の幅を一段づつ変えているんです。

広いステップと狭いステップが交互に登場。

後で管理所の方に聞いたら、こういう間隔が上りやすいということで工夫されたとか。

 

第一段階の階段を上りきりました。

少し平らになっている場所があって、その先には小さな山門が。

ここからさらに先に階段が伸びています。

どうやら、ここからが ”本番” と見ました。

 

これですわ :::ico8:::

かつて、レッド・ツェッペリンというイギリスのロックバンドがリリ一スした名曲に

「天国への階段」という曲があります。

ギタ一を弾く方なら、たいていはご存知でしょう。

もしかして、この階段を見て曲を作ったのか :?:  と、思ってしまいます。

 

ふうう 半分くらい上って下を見ましたら・・

だいぶ上ったなあ :::ico66:::

 

おお ついに到着 :::ico24:::

 

「天下人」にふさわしい、立派な石塔が建立されていました。

登山であれば、頂上からの眺望を楽しめるところなのですが、まわりを木に囲まれていて

眺望はほとんどなし。

ううう 京都の町並みが一望できるかと期待していたのになあ :::ico88:::

 

上りもきついが、下りもきついのは登山と一緒。

ヒザがね いうことを聞かなくなってくるんですよ :::ico32:::

よろよろと下って、あともう少しで下界に到着という場所ですれ違ったこの一団。

空手だか柔道のチ一ムのみなさんで、ここの上り下りが ”いつもの練習” のようです。

何往復するのかなあ・・

 

少し古い話題になってしまいましたが、「そだねジャパン」でおなじみ、

カ一リングスト一ンのような石を発見 :::ico35:::

 

”完登” した私に管理所の方が声をかけてくださいました。

このオジサン大丈夫か、と気にかけてもらっていたのでしょう :::ico158:::

それで少し話をしたら、面白い話が聞けました。

明治時代、秀吉公のお墓を整備しようということになった時、

”だいたいこのあたりにご遺体が埋葬されたはずだ” というアタリはついていたのですが、

正確な場所は不明。

それで頂上に石塔を建てた後、後整理の工事をしていたら、階段の中間地点から思いがけず

ご遺体が見つかったというのです。

それでやむなく、ご遺体に現在石塔が建っている場所まで移動をしていただいたそうなんです。

さらに面白かったのは、発見された秀吉公のご遺体が向いていた方向。

昔の埋葬は、まず間違いなく、

お釈迦様のご生誕地であるインドの方向 :::ico138::: 真西に向けて埋葬をしたそうなのですが、

秀吉公のご遺体は、真西ではなく少し北側 :::ico138::: 西北西を向いていたとか。

なぜこの方向に向けて埋葬されたのか・・

当時の文献は徳川幕府によって焼失してしまって記録はなし。

京都御所を向いていたとか、朝鮮出兵の成功を願って朝鮮半島方面に向けられたとか、

諸説あるようですが、真相は不明。

うううん 歴史ロマンですな :::ico63:::                       小松 明