四谷の千枚田

昨日は地区の野球大会があって参加してきました。

そしたら、対戦相手のチ一ムの若者に ”同じ人間か” と思ってしまうような、

大ホ一ムランを打たれたりして、まあ、コ一ルド負けですわ :::ico88:::

勝ち負けはともかく ”あのホ一ムランはすごかったよなあ” と仲間と話していたら、

驚愕の事実が判明 😯

ホ一ムランを打った若者は、長野県下でも4指に入る野球の強豪校のキャプテンを

やっていたというじゃないですか :::ico45:::

何しろ部員数は100名以上。

レギュラ一を獲得するだけでも至難のワザなのに、キャプテンとは :::ico17:::

噂をすれば・・ 試合後、次の試合を観戦していた我々の前を ”キャプテン” が

通りかかりました。

こういう時 ”初対面の人にも気楽に話しかけてしまう” という私が本領発揮 :::ico4:::

”キャプテン” の名前など、「個人情報」をゲット ❗

しかしさすがは元高校球児。

爽やかイケメンだなあ :::ico35:::

娘が ”紹介したい人がいる” と言って男子を連れて来たら、まずは :::ico95:::

「顔を洗って出直してきなさい」と言ことにしている私ですが、

”キャプテン” を連れてこられたら・・ 会うしかないわなあ :::ico80:::

 

上諏訪から普通列車で7時間かけて到着した豊橋。

駅前のホテルに1泊した翌朝。

レンタカ一を借りて、むかった先は・・

 

”長篠の戦い” で有名な長篠から、少し山に入った場所にあるのが「四谷の千枚田」。

「日本の棚田百選」にも選ばれているのはもちろん、

その規模と美しさからいっても日本を代表する棚田でしょう。

 

まずは棚田上部にある駐車場へ直行。

そこからのんびりと散策をすることにします :::ico73:::

 

山里に広がるこの光景 :::ico8:::

日本古来の自然の美しさが堪能できます :::ico7:::

 

棚田の一番下まで下って見上げると・・

このスケ一ルの大きさに圧倒されます :::ico54:::

この山間の場所に、よくこれだけの田を切り開いて水を引いたものです。

先人のみなさんは、たいへんなご苦労をされたのでしょう :::ico63:::

 

本当に田んぼは1000枚くらいあるそうです。

こうやって見えるのは、ほんの一画ということですね。

 

ちょうど田植えの時期で、大勢のみなさんが田植えをされていました。

見たところ地元の農家のみなさんのようです。

今までいくつか棚田をまわってきましたが、多くの棚田で取り入れていたのが「里親制度」。

農業に携わる人口が減ってきている中で、田んぼを荒らさないように維持していく苦肉の策。

田んぼのオ一ナ一になってくれる方を募集して、維持する資金を調達し、田植えや稲刈りは

オ一ナ一さんにやっていただく、といった制度です。

そうすると、ここの棚田は里親制度をとっていなくて、ほとんど地元の方が維持されているんだなあ・・

美しい棚田景観を見ることができるのも、こうしたみなさんのおかげです :::ico158:::   小松 明

豊橋の鰻

豊橋に行く前に、娘から「豊橋ってどんな所 ❓ 都会 ❓ 」と聞かれて、

「松本みたいな所じゃない」と答えていたのですが・・

 

駅はでかい :::ico17:::

JRに加えて、名鉄となんといっても新幹線ホ一ムのある駅。

雰囲気は完全に ”都会の駅”  :::ico101:::

後で調べたら、豊橋市の人口は37万人 💡

長野市と同じくらいの人口でした。

 

豊橋のお隣、豊川市は豊川稲荷で有名。

何かお祭りがあるようですね :::ico56:::

 

東京の友人と合流して、駅前のホテルへ向かう途中、おっ ❗

ありましたよ デザインマンホ一ル :::ico54:::

カラ一でないのが残念ですが、なかなか凝ったデザインではないですか :::ico76:::

これを見て、ああ・・ と思い出したのが ”手筒花火”  :::ico24:::

豊橋の名物でしたね :::ico5:::

 

 資料画像

これです :::ico8:::

一度も見たことはないですが、これはすごい :::ico45:::

諏訪湖の花火とはまた違った迫力。

 

それでホテルにチェックインした後、夕食を食べに行くことに。

最初、豊橋駅の駅弁を食べようかと思っていたのですが、それは明日にまわして・・

ううん こういう旅先ではないと ”決断” のできない贅沢を思いつきました。

他ならぬ、鰻を食べることにしたのです :::ico10:::

 

豊橋の鰻です :::ico75:::

ここの鰻はどこの鰻かと思って、お店の方に聞いたら「一色町」の鰻とのこと。

一色町も鰻の養殖がたいへん盛んな場所のようですよ。

山椒がテ一ブルになかったので、持ってきていただきました。

何でもこちらの方は鰻に山椒はかけないそうです。

それでこの鰻・・ お気づきでしょうか ❗

 

 資料画像

こちらは名古屋の名物のひとつ「ひつまぶし」

鰻が細かく切られていますよね。

豊橋の鰻もこれと同じように細かく切られていたのです。

つまり ”ひつまぶし風”

所が変われば食べ方も変わってきますなあ。

それで豊橋の鰻の味は・・

うまかったですよ :::ico35:::

し、しかし、申し上げづらいのですが、私にとってはやはり諏訪の鰻の方がうまい :::ico8:::

(豊橋の方、すみません :::ico158::: )                     小松 明

上諏訪発豊橋行

ゴ一ルデンウィ一クが終わってだいぶたちましたが、連休の前・・

妻は仕事、娘は部活、家族でどこかに出かける予定はなし。

家でゴロゴロしていてもなあ・・ 登山でも行くかなあ・・ 等々、考えていましたら、

思いついたことが 💡

上諏訪駅始発で飯田線を経由し、豊橋まで行く普通列車が一日二本あるのです。

所要時間はおよそ7時間 :::ico17:::

これ、前から気になっていたのですが ”電車の旅を堪能しよう” これです ❗

妻と娘に話したら、ほぼ無言・・

好き好んで7時間、普通列車に乗りに行くというのですから、

”勝手にすれば” というところでしょう :::ico42:::

 

やってきました、上諏訪駅3番線ホ一ム :::ico54:::

 

ブル一のラインはJR東日本の電車、オレンジのラインは飯田線乗り入れのJR東海の電車です。

 

車内はこんな感じ。

普通列車にしては快適な座席。

3両編成でトイレは1か所。窓は開きません。

隣のホ一ムに新宿からの特急「あずさ」が到着して、この列車に乗り換えた方が結構いました。

それでも乗車率は半分くらいかな・・

上諏訪9時19分定刻発車。終点の豊橋到着は16時16分です。

 

列車は辰野から飯田線に入り、南アルプスを遠くに見ながらのんびりと進みます。

上諏訪駅で新宿発の特急列車から乗り換えてきた家族連れが、通路向かいに座りました。

若いご夫婦に、3歳くらい、1歳くらい、それに3ヶ月くらいの赤ちゃん。

連休を利用しておじいちゃん、おばあちゃんに会いに行くのかな・・と思っていたら、さにあらず 😯

なんと この家族連れ、結局終点豊橋まで乗りとおしたのです。

見たところ、お父さんが ”鉄っちゃん” のよう。

つまり、お父さんがこの電車に乗りたくて、これを ”家族旅行” にしてしまったのですね。

子供たちは、まだ小さいので、”電車に乗りたい” とついてくるでしょうが、すごいのは奥様。

ずっと静かに子供たちの世話をしながら座っていらっしゃいましたが、たいしたもんだなあ・・

 

途中で一番の ”都会” 飯田までは3時間。

そこから天竜峡に到着。

おっ ちょうど「天竜舟下り」の舟が通過していきました :::ico7:::

 

天竜峡を通過したあたりから ”秘境エリア” に入ります。

テレビで ”秘境の旅” として紹介されたので、何気に飯田線、人気があるのです :::ico24:::

ここは「小和田駅」といって、駅前に道も人家もない ”秘境中の秘境駅” として紹介された駅です。

 

山深いなあ

しかし飯田線は私が子供のころから全線電化されているのですが、

こんな厳しい地形の場所をよく電化したなあ・・

 

だいたいこんな感じの無人駅がほとんどです。

運転手さんと車掌さんは途中で何回か交代しているのですが、車掌さんはまず全員若い方。

それもそのはず、飯田線の車掌さんは ”激務” なんですよ :::ico45:::

まず飯田線は駅間距離が短いので、「次は○○」と言っている内に到着します。

そして到着してからが大変。

ほとんどの駅が無人駅なので、駅に到着したらその駅の改札出口付近にダッシュ :::ico113:::

降りたお客さんの切符を回収。

それだけならまだしも、都会から来たお客さんの中には ”降りた駅で精算しよう” といったように

都会の駅と同じ感覚で乗られている方もいるので、切符を回収しつつ ”精算業務” をこなします。

ある駅では、なかなか発車しないなと思ってホ一ムを見たら、どうやら「スイカ」で乗ってこられた

お客さんがいて、飯田線内ではスイカが使えないことを説明するのに一苦労。

それでまたダッシュして電車に戻る・・ この繰り返し。

これは激務ですわ :::ico68:::

 

お茶畑でしょうか 豊橋が近づいてきました。

実は豊橋に到着してそれで終わりではないのです。

 

豊橋に到着後、東京の友人と合流。

そして翌日の夕方・・

豊橋発上諏訪行という普通列車で、そのまんま同じ経路で引き返す予定でいたのです :::ico75:::

ちなみに帰りは所要時間6時間。

この7時間の旅を敢行している方は結構いると見ましたが、往復13時間となると・・

諏訪市内でこれをやった人は他にいるかなあ :::ico80:::

 

豊橋に定刻到着。

7時間・・ 思ったほど大変ではありませんでした。

何かの本で、「時間の経過は一定ではない」と書いてあったのを思い出しました。

つまり好きなことをしている時は短い、いやなこと、つらいことをしている時は長い、というように

”1秒の長さ” が状況で変わるという話です。

いやあ まさにまさに ですね :::ico55:::                     小松 明

紅白のツツジ

ツツジがきれいな季節です。

高島城公園の諏訪湖側入り口付近には :::ico95:::

 

ほとんど人目に触れないような場所なのですが、

白いツツジがきれいに咲いているんですよ :::ico7:::

 

しかし白いツツジの ”白” は、まさに ”純白” ですね 💡

 

いやあ

なかなか人に気づいてもらえない場所なので、もったいない :::ico45:::

 

一方、毎日のように訪れている中門川の河口付近では、毎年恒例の真っ赤なツツジが満開 :::ico95:::

 

こちらも白に負けない鮮やかさ :::ico76:::

ここの場所でよいのは・・

 

こんな感じで川のすぐ脇に咲いているので・・

 

水鏡に映ったツツジがきれいなんですね :::ico54:::

おっ 水に映っているツツジの方が色が鮮やかだなあ :::ico5:::         小松 明

天国への階段

今日は真夏のような暑さになるとの予報 :::ico3:::

 

朝、会社の駐車場に到着したら、朝日の中を飛行機が通過中 :::ico113:::

 

このイメ一ジは・・

自分にも他人にも厳しい「香田キャプテン」 :::ico17:::

懐かしのドラマ ”グッド・ラック” ですな。

:::ico7::: 青い水平線を・・ という主題歌のあいつです。

 

そしたら、すごい写真が撮れたんですよ :::ico8:::

この写真、ヒコ一キ雲のラインが偶然にも左下角から始まっています。

それで右上に伸びているラインに定規をあてると、ピッタリ右上角に :::ico154:::

そうするとこのラインはちょうど45℃ :::ico113::: 長方形をピッタリ二等分するラインになっていたのです :::ico45:::

いやね 本当に偶然なんですけどね。

これで私のことを ”人間分度器” と呼んでもらっても構わないですよ :::ico80:::

 

3月に日帰りで京都に行った際、

豊臣秀吉公のお墓「豊国廟」に寄ったというお話が、途中になっていました :::ico95:::

 

この辺が入口

入場料100円を支払って、あとはひたすら階段を上ります :::ico73:::

管理所の方が、何も覚悟がなくふらりと立ち寄った観光客に見えたのか、

「往復で最低30分はかかりますが、大丈夫ですか」と声をかけてくださいました。

階段を上りきれるかはともかく、時間は大丈夫です :::ico5:::

 

階段入口にあった説明書

やはり徳川幕府は秀吉公には冷たかったのですね・・

 

さあ上りましょう :::ico54:::

この日は京都の街中で、たくさんの観光客を見かけたのですが、

この階段を上ろうという ”秀吉ファン” の姿は、数えるほど :::ico83:::

 

この階段 こんな感じで段の幅を一段づつ変えているんです。

広いステップと狭いステップが交互に登場。

後で管理所の方に聞いたら、こういう間隔が上りやすいということで工夫されたとか。

 

第一段階の階段を上りきりました。

少し平らになっている場所があって、その先には小さな山門が。

ここからさらに先に階段が伸びています。

どうやら、ここからが ”本番” と見ました。

 

これですわ :::ico8:::

かつて、レッド・ツェッペリンというイギリスのロックバンドがリリ一スした名曲に

「天国への階段」という曲があります。

ギタ一を弾く方なら、たいていはご存知でしょう。

もしかして、この階段を見て曲を作ったのか ❓  と、思ってしまいます。

 

ふうう 半分くらい上って下を見ましたら・・

だいぶ上ったなあ :::ico66:::

 

おお ついに到着 :::ico24:::

 

「天下人」にふさわしい、立派な石塔が建立されていました。

登山であれば、頂上からの眺望を楽しめるところなのですが、まわりを木に囲まれていて

眺望はほとんどなし。

ううう 京都の町並みが一望できるかと期待していたのになあ :::ico88:::

 

上りもきついが、下りもきついのは登山と一緒。

ヒザがね いうことを聞かなくなってくるんですよ :::ico32:::

よろよろと下って、あともう少しで下界に到着という場所ですれ違ったこの一団。

空手だか柔道のチ一ムのみなさんで、ここの上り下りが ”いつもの練習” のようです。

何往復するのかなあ・・

 

少し古い話題になってしまいましたが、「そだねジャパン」でおなじみ、

カ一リングスト一ンのような石を発見 :::ico35:::

 

”完登” した私に管理所の方が声をかけてくださいました。

このオジサン大丈夫か、と気にかけてもらっていたのでしょう :::ico158:::

それで少し話をしたら、面白い話が聞けました。

明治時代、秀吉公のお墓を整備しようということになった時、

”だいたいこのあたりにご遺体が埋葬されたはずだ” というアタリはついていたのですが、

正確な場所は不明。

それで頂上に石塔を建てた後、後整理の工事をしていたら、階段の中間地点から思いがけず

ご遺体が見つかったというのです。

それでやむなく、ご遺体に現在石塔が建っている場所まで移動をしていただいたそうなんです。

さらに面白かったのは、発見された秀吉公のご遺体が向いていた方向。

昔の埋葬は、まず間違いなく、

お釈迦様のご生誕地であるインドの方向 :::ico138::: 真西に向けて埋葬をしたそうなのですが、

秀吉公のご遺体は、真西ではなく少し北側 :::ico138::: 西北西を向いていたとか。

なぜこの方向に向けて埋葬されたのか・・

当時の文献は徳川幕府によって焼失してしまって記録はなし。

京都御所を向いていたとか、朝鮮出兵の成功を願って朝鮮半島方面に向けられたとか、

諸説あるようですが、真相は不明。

うううん 歴史ロマンですな :::ico63:::                       小松 明