安藤忠雄氏講演会に行ってきました。

6月は、梅雨入りで雨ばかりと思っていましたが、後半からは暑い日が続き夏のような日が続きました。6月のコラムはバタバタしているうちに6月末になってしまいましたので勝手にお休みして、7月からは又がんばりたいと思います。

6月11日土曜日に全国城下町シンポジウム 松本大会の記念講演会にて建築家 安藤忠雄氏の講演を聞くことができました。建築界の大物でもありますが私は常に挑戦してきたストイックな生き方に魅かれていたので、またとない機会となりました。
まつもと市民芸術館ホール(下諏訪町に幼少過ごした建築界の鬼才伊東豊雄氏が設計)にて13時30分開演なので前の席を取ろうと13時頃会場に入場しようとすると、なんとロビーで本人がサイン会をしているではありませんか。
しかも余り人が並ばす一人一人と雑談をしながら書いていましたので、すぐ著作を購入し並ぶこと10分、私の順番がまわってきました。本人の印象は小柄ではありましたが写真通り力強い目と全体の柔和さが印象的でした。私は著作のなかの「光と影」の話しの部分に大変感銘を受けましたと声をかけました。本人は「ありがとうと」少し照れくさい感じでしたが、名前や住所を聞いてくれてサインに名前や絵を入れてくれました。
うん、本当に幸運でした。

サイン会の様子です

印象的なホールの壁面

市民芸術館会場内の様子

さて、講演はサイン会が長引いたのか10分遅れで始まりました。
前半は自身の建築家としての有名な住吉の長屋のできるまでのエピソードやサントリーとライバルのアサヒビールの美術館を同時に請けて設計したエピソード、光の教会のエピソードなど肉声で聞かせてもらいました。
その中で、敷地がない、予算がない、施主の要求は過大という案件になると燃えてくる、何クソと思えば良いアイデアが出る。こんな条件では無理だと考えるようになったら、引退すると語ってくれました。建設に携わる身としては、まだまだ修行が足りないなあと思う言葉でした。
後半は、日本のこと今回の震災について想いを話してくれました。
世界で仕事をしていると、日本は崖っぷちに立っていると常々思う。若い人に世界で仕事をするという教育をしていかないと、無くなってしまうのではないか!日本は外国に出ざるをえない。海外の仕事は自分の意見を持ち、しっかり主張をすることが基本、アジアから見た日本は最悪の状況に見えると。
80年代日本は経済一辺倒になり、文化的生活や家族・地域を犠牲にし、ひたすら親は働いた。ところが恵まれたはずの子供の世代になると、働かない、親の意見を聞かない若い人が大量に増えてしまった。これでは、世界では通用しない。
日本の建築は、品質、スケジュール管理では世界のトップの技術がある。これを伝承していけば、まだまだがんばれる。自分の職業をしっかりやり、精一杯努力するそうすれば全員に可能性がある。
又地方へのアドバイスは、ふるさとに愛情を持ち、隙間をぬって可能性にかけ、その場所に合ったものを造ることが大切。自分達の夢を持つことを教示頂きました。
最後に震災については、親を亡くした子供も大変多く、阪神淡路大震災から遺児育英資金の活動に注力していて、「桃・柿育英会東日本大震災遺児育英資金」を立ち上げ子供達を10年育て、世界で活躍できるひとを育てていきたいとその想いを語って頂きました。

今回の講演は、本当に良いお話しを聞けたと思いました、内容も濃かったのですが先生はやはり関西出身、苦しかった経験も漫才のネタのように話すので、しばし爆笑の渦でした。
今回は松本と近く、まつもと市民芸術館ホールもはじめて観させてもらい有意義な1日となりました。又サインされた本は大切に取っておきたいと思います。
来月はきちんとアップしたいと思います。今年の夏は暑いですかね?。

安藤氏著作 「住宅」

この絵は十字架でしょうか?